夏越しの大祓い
夏越しの大祓いに行ってきた
2019年 何だかおかしいから ひたすら神頼みだ
小雨のなか傘をさして並んでいたら
前にいた人と目が合った
恐らく外国人 カップルだった
「どうする?」「え 聞いてみよか」(ちらっ)
そんな彼らの目線のあと話しかけられた
何をしているのですか?
というようなことを聞かれたと思う 英語であった
「半年の穢れを払うのですよ」
と言いたいが言えるわけはない
「あー 今日は1年の半分で‥」
「Oh 半年ですね なぜこういうことをするのですか」
「あー んー (何で?グッドラック?デビルを避ける?)」
「これからの半年の幸運を祈るためですか?」
「あー そうそうそう!」
かしこい
わたしがあーうー言っているだけで
正解を導き出した
あんたやるね
こういう時は自分が言いたいことを訳そうとするのではなく
知ってる単語を並べればよいということを
これまでの職業柄 嫌という程人に言ってきたのに
その肝心の単語すら出てこないなのは
どーしようもないね
日本人って何でそんなに英語できんの??と
ディスられてもしかたがない
優しい雰囲気のカップルさんは
前の人たちがやっている様子から
作法を学び 難なくこなしていた
お辞儀が誰よりも美しかった
かしこは 身のこなしも素晴らしいのだな
彼らは気づいていなかったと思うが
茅の輪は唱え詞を口にしながらくぐる
1周め 2周め 3周めとそれぞれ異なる文言がある
事前に調べて存在を知っていたのに
覚えてくるのも メモを用意するのも忘れた
大慌てでスマホで検索し覚えようとするも
2周目の言葉が頭に入ってこない
画面を見ながらくぐってもよいのだけど
あいにくその日は雨で傘をさしていたので
早々に諦めることにし
最後に唱える「蘇民将来」だけ言うことにした
いよいよ自分の番が回ってきた
人前の動作は苦手
たまにあり得ない失敗をしでかすので
自分が信用できず 妙に慎重になる
最後くぐりぬけてお辞儀で終わりだ と
思った瞬間 あっっっ
蘇民将来 言ってないーーー
最後のお辞儀をすませ 脇にはけながら
早口で唱えた
これも忘れっぽいの範疇なのだろうか
諸悪の根源はオマエか
ばばぁなのに午前3時にブログを書いている
ライブ行くために有休を取り 2連休
浮ついている
これを書きながらまた思った
年に連休が数回って・・
何でこんな会社で働いているんやろ
さっき思いついたこと
年末に跡取り息子が婿養子に行ってしまい
春にはガンが見つかり
小遣い稼ぎのための仕事の契約を切られることになった
ボス
この人じゃないか 悪い「気」のなかにいる人は
こいつの悪い気の影響じゃないか
今のわたし
やっぱり転職やで
全力で逃げなければ
だけど転職活動はうまくいかない
ばばぁやけど 誰か雇ってー
低空飛行中・ライブ前の食事
あぁ とうとう5月も1つも書かなかったか
何だか今年は 何だか違う
桜の効き目はなく 新緑に期待してたのだけど
もう紫陽花だよ
いつまでたっても気持ちは低めで保っている
そんな中 今日はライブに行った
去年12月以来 今年初ライブ
ZAZENBOYS
かっこよかったです
久々の幸福感 充実感
こういうの必要やね
申込中の京都音楽博覧会の先行発売を
さらに別のとこからも申し込む
どうぞ当たりますように
ライブはいつもひとりで行く
(単に一緒に行く人がいないから)
会場が大阪の場合 少し早めに出て
遅めの昼食か早めの夕食を食べて向かう
わたしのひとりメシは ほぼほぼ
豚カツ・回転寿司・カレー・ラーメン
どれも好きなものであり
ひとりで入りやすくてハズレが少ないから
男性率が高いので居心地はよいとは言えないのだけど
(寿司はおじいちゃん多し)
カフェやパスタ屋には行くことはない
お腹いっぱいにならないし すぐお腹すくから
と 先日友達に説明したら
いくつやねん と言われた
確かに
今日は大阪へ
目当ての豚カツ屋が休みだったので
某有名カレー店に行くことにした
大阪といえばスパイスカレー
食べるたびに思うことは
食べ始めはスパイスの宝石箱や~と
味覚が刺激され楽しいのだけど
途中で必ず 飽きる
どんなに旨い~と食べ進めても
絶対後半は飽きる
あれ何なんだろう
書いてて思いついた
辛み 塩味 甘み 酸味はあるが
旨味が足りないのかな
15時頃スパイスカレーを食べ
チェーン店カフェで時間を潰したところ
ライブがはじまる頃 お腹がパンパンに
スパイスのせいか胃腸が何だか熱い
ライブ中にゲボってる自分を何度か想像してしまった
ミスチョイスだな
ライブの前って何食べたらいいんだろ
何時間前に食べるべきだろう
真剣に考えてみよ
要精査 そこには何かがある
そんなこんなで 予想通りの要精査
そして再検査したところで
結果大丈夫でしたというパターンが見えている
けれど
結局 再検査を受けることにした
今回は以前知り合いが
乳腺外来ならココと言っていた病院にした
仕事を15分早く早退すると
夜診察に間に合うところもよかった
人で溢れていると聞いていたものの
ロビーは無人
受付嬢は愛想のない推定50代後半アニメ声
ロビーではない中の待合で待たされ
呼ばれたと思ったら さらに中にも待合があり
しかし 独特
さらに中の待合では 上半身裸になり
ケープを身に着けて待つよう言われたのだが
ボタンがたくさんついているのに
どれとどれがツイになっているかわからず
かなり焦った
やっとこさ身に着けて待機するも
下がスース―するから何だか寒い
鞄はロッカー ケープ身一つ 雑誌等なしで
(外の待合には雑誌が置いてあった)
そこから約45分くらい待たされた
ケープ 早くないか
今回はオジイちゃん先生だった
お口をもぐもぐさせていたので相当なお年であろう
触診は優しく エコーはとても丁寧で
過去に受けた検査のなかで一番安心感があった
マンモの検査技師さんも男性であった
「痛いよ 痛いけど頑張ろう!」
「あともう1回!頑張ろう!」
やたら励ましてくれた
でもわたしはどうやら首の痛みの方が酷いのだ
首をあらぬ方向に曲げて固定の姿勢を強いられるのは
とてつもなく拷問
エコー→マンモ→エコーの結果
何カ所か水泡や石灰化が見られるが問題なし
右側におそらく水が溜まっていて
その水が抜けたのかなと思われる跡
のようなものがあるとのことだった
前回の検査と同じ内容であった
さて ここからが本題 と身を固くしていたら
水泡の跡が大きくならなければ問題ない
それを確認するために半年後に来てください
その時に大きくなっていたら気になるから
細胞の検査をするけど 組織を取るんじゃなくて
注射でいいと思うわ
と言われた
前回はここで組織を取る選択をしたわけだが
今回は経過観察ということになった
医者の判断により
与えられる不安も掛かる費用も変わるというわけだ
エコーでみた水泡の跡はわりと大きくて空洞だった
水が入ってたって 何なんだよー
見えないけど何かあるって何とも不思議すぎて
触ったり ひねり出したり 労わることもできないから
無力感いっぱい
要精査 病院ってところはさ
健康診断で久しぶりに女性系の検査を受けた
今の会社に入社して3年目
過去2回はなかったの なぜ??
そして予期していた通り
乳がん検査で「要精査」判定
そんな気してた
はじめて乳がん検査を受けたのは
30代前半
要精査となり近所の病院で再検査を受けた
その際 念のため細胞の検査もしましょうと言われ
乳房に注射を打たれた
数日後 病院から着信があったので折り返すも
先生が電話口に出てこれないということだった
時間を置いて再度電話したところ
「さっき留守電に入れましたよ」とのこと
看護師が読み上げた番号は微妙にわたしのとは違い
どうやら どこかの誰かの留守電に
わたしの検査結果が吹き込まれたようだった
ぞっとしながら結果を尋ねると
「大丈夫だったと言ってましたよ」と
間接話法で返答された 他人事感が半端ない
せめて「大丈夫だと言ってましたのでご安心を」
くらいにしてほしかった
2回目の乳がん検診はその5年後くらい
これは自主的に受けたものだった
そしてまたもや「要精査」
今回はネットで探した乳腺外来へ行った
途中 地下鉄車内で友人の元カレに出会い
そいつが 人生で数少ない 嫌いな人間のひとりだったので
何て日だ!ヤな予感しかないやないか!
という心境であった
その病院はとても洒落た院内で
患者は番号で呼ばれるのであった
何だか大掛かりなのでビビッていると
念のため後日 細胞の検査もするという
細胞の検査=乳房に注射と思っていたわたしは
軽い気持ちで出勤前に予約を入れた
が実際は「麻酔しますね~」と言われ
ぶっ刺され 押し込まれ (詳細自粛)
最後は分厚いガーゼに包帯をさらしのように巻かれて
帰ることになった
正確には家に帰れず出勤したのであるが
された行為にメンタルが結構やられた
20代巻き髪美女医が「フンっフンっ」と唸ってたもんな
1週間後 検査結果は担当していた美女医ではなく
声のやたらデカいオッサン医院長から告げられた
「まー大丈夫やと思ってたんやけど
やっぱり大丈夫やったわー」
検査であってもどういうことをするのか
事前に説明すべきだし
念のための検査であるならそうであると
はじめから伝えておくべきではないか
大きな安心とともに
どうしようもない怒りが込み上げてきたことは
忘れもしない
ワークにハローって何
恐ろしいほど毒々しいニキビができた
ストレスなのであろう
去年の今ごろはそんなニキビが
下唇の周りに常時4~5個あって
計17個くらいできたのだった
あれは恐ろしく辛い日々だった
今回は1つで終わりそうだ
見た目があまりにグロかったので
去年皮膚科でもらった薬をつけた
すぐに小さくなったものの
ニキビの周りも腫れだして 皮膚がカチカチになった
そうだった こうなるんだった
薬は怖いね
というわけで 転職活動をしている
ぼちぼちしている
履歴書と職務経歴書を用意する
これがなかなかのしんどさ
でもこれを乗り越えると
あとは応募するだけだからね
過去に作成した履歴書や職務経歴書のデータを
探すも見つからず どうやら削除していたようだ
さすがにもう転職はしないだろうと
考えたんだろうな
2年数ヵ月前のわたしは
ダメやなーと思ったら
面白くないなーと思ったら
じっとしていられなくて
次の場所 別の場所を考えてしまう性質なので
これは宿命 しかたがないな
23:50
カバンの中の社用スマホから音がなる
明日からは持ち帰ることを止めよう
こんな時間に社員にグループLINEなんて
本当に他にやることがないんだな
過ぎさる日々 そして平成
3月が瞬く間に終わろうとしている
それもこれもインフルエンザのせいだな
結局 中旬ごろまで声は枯れたままで
大きな声を出せなかった
(職場で声をはることがあるのです)
家の周りも 電車のなかも 職場の周りも
ごはんに出かけても
ここに住んでいない人たちがワンサカいて
自分の街が自分の街でないようだ
落ち着かない しっくりこない
生まれ育った街なのに
こんな状態がこれからもずっと続くなら
この街に留まる意味はないのかもとさえ思う
職場に行くとイライラしてしまう
特定の人の言動や仕事ぶりに
頭のなかで 文句やら批判やらが止まらない
もう潮時なのかもしれない
わかっていたことだけど
ゴリゴリした保守的な空気は合わないなー
1年目には見えてなかった序列が
今ではすっかり見えてとても窮屈
小さな世界で王様を気取る人たちが
とてつもなくバカに見える
言いたいことを言い 思うように動く
のびのび生きたい
パートナーや子供
他者から生きる糧を貰えないのだから
自分で自分を
楽しませて 喜ばせないとね
と思う 今日この頃